気功

自分のために生きること

HDさん36才 女性

ひたすら走り続けて

私は北海道に住む36歳の女性です。
私は捨て子で、生まれてまもなくコインロッカーに捨てられていたそうです。施設で育てられもちろん両親のことは知りません。ナイーブな性格で周りの子供達とは馴染めず、いつも一人ですごしていました。中学校を卒業してからは住宅の塗装をする会社に就職をしました。会社とは名ばかりの、従業員は社長を含めて3人の小さな会社です。ただ働いて自立すること、世間様に迷惑をかけないこと、友人もなく趣味もなく、休日に遊びに出かけることもなく、毎日が仕事とアパートの往復それが私の生活のすべてでした。

幸いなことに、ほとんど休みのない会社でした。

19歳の時に社長が病気で倒れた時、私に結婚してくれないかとおっしゃいました。社長は45歳で小学生が2人、保育園の子供が1人の3人の子持ちで全員男の子。私には断るという選択肢もなく、当たり前のように結婚し、結婚を申し込まれて3日後にはアパートを引き払い社長の家族と暮らしました。社長の家は会社の二階だったので、毎日通っていた会社の二階に移るだけです。社長である主人は寝たきりなので介護と子供達3人の子育てに翻弄されました。元々ナイーブで人付き合いができない私が子育てを…………そのうえ会社には多大な借金があり倒産寸前だったのです。とにかくひたすら働きました。

早朝から会社の塗装業で現場に出かけ、休憩時間に家に戻って主人の介護と子供達のお世話をしてまた現場へ。夕方に帰って来て子供達の食事や入浴のお世話、それに主人の介護。それが終わると会社の経理や仕入れの手続き。それから、また現場に戻って深夜の2時くらいまで塗装の仕事。休み無しで毎日がこの生活です。何よりも辛かったのは資金繰りで、中学しか出ていない学のない、塗装の現場しか知らない私が従業員の給料を捻出するための金融機関との折衝をする事でした。

手の指は変形してペンキが染み付いて取れず、36歳ですが体はボロボロでお婆さんのようです。お医者さんからは入院し治療しないと、このままでは大変なことになりますよと釘を差されていました。

私は人並みの幸せを求めてはいけない世間一般の生活を夢見てはいけないとずっと思っていました。だって私は捨て子だから不幸しかないと。

生きることに疲れ

北海道に来られていた貴博先生に偶然お目にかかる機会がありました。まずお会いするはずのないような人と。一番下の子供が巣立ったので、私の家族に対する役目は終わりました。借金の返済も終わり、生きるのに疲れた私は死のうと思いました。体はボロボロで生きる気力も尽きました。

けれど、何故か貴博先生に会って死のうと思いました。死ぬために九州に行こう。旅行など一度もしたことがないので、自分への最初で最後のご褒美に。これが死への旅立ちだと思い最後の行動だと思って死ぬつもりで貴博先生をお尋ねしました。

自分のために

貴博先生の前に座ると涙がポロポロと止めどなく流れて気がついたら自分の生い立ちを話していました。けっして誰にも話したことがない自分のことを「この人がおとうさん。そして、お母さん」そんなふうに思えてきて。私は両親を知らないのに優しさと安らぎに包まれるのです。『自分のために生きても良いのかも』『自分を大切にしたい』という感情が芽生えてきたのです。今まで一度も感じたことのない感情が。

もう人生を諦め、死ぬつもりで訪れた九州なのに救われるとはこのようなことを言うのでしょうか。貴博先生は何も特別な事はおっしゃらず、ただそこに座っておられるだけでした。

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